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ジョン・アイアランド(Ireland,地名のアイルランドと同じ綴りですが発音は違う)はイングランド,マンチェスターにほど近い,ボードンで1879年に生まれました.14歳で,新設されたロンドン音楽大学に入学.その直後,両親が相次いで亡くなりアイアランドは孤児となってしまいましたが,ピアノ,オルガン,作曲を学び続け,ヴォーン=ウィリアムズ,ホルスト,ブリッジらを指導したチャールズ・スタンフォード卿の門下となりました.第1次世界大戦の終わり頃,ヴァイオリンソナタ第2番で,名声を確固たるものとしたそうです.その後,1962年に亡くなるまで,作曲活動の傍ら王立大学での作曲指導を行いました.彼の生徒にはブリテンがいます.
アイアランドの音楽は「イギリス印象派」に属しています.20~30代のとき,ドビュッシー,ラヴェル,そしてストラヴィンスキーやバルトークの初期の作品に強い影響を受けています.同時代のヴォーン=ウィリアムズやホルストがイギリス民謡を展開したのに対して,アイアランドはフランスやロシアに見られるような,より複雑な和声形式を発展させました.彼はフォーレのようにオーケストラや合唱よりも小編成の室内楽を好んだため,交響曲やオペラを1曲も残していません.
ダウンランド組曲は1932年にイギリスの全国ブラスバンドコンクールのために作曲されました.ダウンランド[downland]とはイングランド南部の緩やかな草地性丘陵地帯のことです.
その後1941年からダウンランド組曲の弦楽への編曲を開始します.理由は定かではありませんが,ブリテンの弦楽合奏作品「フランク-ブリッジの主題による変奏曲」を1937年に初演したボイド-ニール弦楽合奏団より委嘱を受け,「牧歌的コンチェルティーノ」という弦楽作品を1939年に作曲したことがきっかけとなったのかもしれません.ところが第2,3楽章を完成させたところで,第2次世界大戦によるドイツ軍のイギリス侵攻により住み慣れたチャネル島から脱出することになりました.これが彼の創作意欲を断ち切ってしまったのか,その後,編曲が再開されることはありませんでした.
1978年,アイアランド財団は彼の生誕100年に当たり,弟子であるジェフリー・ブッシュ(1920-)に,残りの第1,4楽章の編曲を委嘱し,晴れて全楽章が完成することとなりました.
弦楽合奏版では,ブラスバンド版と比べてプレリュードとメヌエットは短く,エレジーはかなり長く編曲されています.エレジーのテーマが,ロンドのクライマックス部分から再現します.
編成:2Vn, Va, Vc, Cb
演奏時間:約18分
Hong Kong Chordophonia conducted by Leung Hok Kiu Johnson, 2015.
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