士幌線資料館掲示板
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[316] 上士幌網羽馬車軌道
キツネメ十勝
2005/06/16(Thu) 23:57
今日、古本屋で表題の記事の載った本を発見し、大変驚きました。
1989年発行の十勝郷土研究誌「トカプチ2号」の中の、十勝の軌道その2 に記述があります。 
概要は、音更川上流よりの木材の流送が、大正11年の大雨の被害により 下流の網羽所が破壊され復興を断念、大正12年 士幌線鉄道が着々と進行していたため、王子製紙が網羽所を上士幌37号に開設、上士幌駅までトロ運搬したとのこと。 また大正15年の上士幌駅開業までの間は、駅からトラック輸送であったとのことです。
軌道のルートは、上士幌駅構内北西部から300米北進、本線踏切付近から左折、旧国道に併行して施設されていて音更川沿いを南下。延長はおよそ3キロです。 
その後、士幌線全通に伴い流送は姿を消し、昭和16年軌道廃止とあります。 本誌には軌道地図も掲載されていました。

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[328] Re: 上士幌網羽馬車軌道
キツネメ十勝
2005/06/25(Sat) 23:48
「とかぷち」誌に掲載されていた資料の一部です。

>いどさん  本誌に無断転載禁止の記述がなかったので出しましたが、不適切でしたら、お手数ですが削除をお願いします。

分監軌道は、当初木軌道でしたが、後にルート変更と鉄軌道化が成されたようです。

[P1][P1s][P2][P2s][P3][P3s]
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[329] Re: 上士幌網羽馬車軌道
ひぐま3号
2005/06/26(Sun) 00:25
23の大和鉱業馬鉄は大正10年頃、浦幌炭鉱と浦幌駅(根室本線)を運炭用に設置された馬鉄だとの記載を読んだことがあります。これに絡み幻の鉄道、この区間に軌道敷設が昭和8年からスタートし、10年の大雨で流失し、敢無く断念。翌年炭鉱自体が三菱に吸収され頓挫したとのこと。機関車も払い下げで7200形式を購入していた。結局、雄別に行っちゃったみたいです。
>いどさん
元の帯広刑務所は緑ヶ丘公園よりまだ帯広駅寄りです。

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[330] Re: 上士幌網羽馬車軌道
いど
2005/06/26(Sun) 19:44 URL
さすが「トカプチ」.
やはり,本物の郷土資料はきちんと調べてありますね.

分監軌道のルートを見ると,完全に釧路(根室)本線を横切ってますね.明治40年には帯広−旭川間が開通してますので,そのときには
もう無くなっていたのでしょうか.それとも交差していたのか.

>キツネメ十勝さん

今度,これらの軌道の開通と廃止年月日などを教えていただけませんか?資料庫に書き加えようと思いますので.

>ひぐま3号さん

十勝監獄の時代から,縮小,移転したんですね.
No.192の地図で刑務支所をみると確かに,もっと駅よりでした.
いまの北海道ホテルの西側あたりになるんでしょうか.

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[334] Re: 上士幌網羽馬車軌道
キツネメ十勝
2005/06/30(Thu) 00:18
>今度,これらの軌道の開通と廃止年月日などを教えていただけませんか?資料庫に書き加えようと思いますので.

>いどさん  「トカプチ」本誌には開通、廃止の年月日の一覧の記事は在りませんでしたので 私も本文を読み込んでノートに書き写して整理してみました。 
アバウトな開通年の記述はあっても、残念なことに正確な廃止年月日までは書かれていないことが多いようですし、軍用「帯広飛行場線」「鏑部隊線」などは詳細な記述が全く無いので謎だらけです。
「分監軌道」も廃止年が解らないので本線との関係はどうなっていたのしょうか。
今日、職場で池田出身の方に新田馬鉄の話をすると「在ったのは知っていた」とのことで、今後も調査、発見の楽しみが有るのかなとも思っています。 
開通、廃止の年月日は 後日、解った所まで報告したいと思いますのでもう少し時間を頂きますね。

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